(海外)の自然番組から取材の(依頼)が来た(週)。飼育部門の八重樫主任が、私の机の依頼書を(見て)(言った)。「望月さん、ポスター係に取材は無理です。条件はこちらで出します。広報は当日の案内だけで」。
私、二十八歳、水族館の(広報)。取材の依頼も館内の(撮影)の許可も、(全部)この机を通る。(それでも)条件を出したことは一度もない。条件は飼育が出すものだと(気づいて)はいるが、欲求不満は溜まる。
八重樫さんは飼育を(十二年)やってきた人だ。(珊瑚礁)の水槽を一から立ち上げた人で、(生物)のことなら誰より正確に(話す)。怒鳴る人でも怒りっぽい人でもない。取材を(断る)ことに(慣れている)だけだ。撮影の条件は自分の手で決めたいのだ。
「撮影は水槽にとって(不利)なことが多い」と八重樫さんは言った。「照明を強くすれば水温が(上がる)。三脚を(激しく)引きずれば床が鳴って、魚が壁際に寄る。話の通じない相手に説明し続けるのは、(つらい)作業です」。
(同僚)の佐分利さんは、横で(展示)の(札)を書いていた。入って二年目で、まだ(研修中)の扱いを受けている。八重樫さんが帰ると「あの言い方、(気が滅入ります)ね」と小さい声で言った。(感受性)の強い人で、ありふれた愚痴は言わない人である。
依頼書は三枚あった。番組の(概要)と、撮りたい(場面)と、滞在の予定。番組は海の(地理)を扱う回で、撮りたい場面には珊瑚礁の産卵と、(日没)の時刻に照明を落とす展示が並ぶ。(絶滅した)種の標本の棚も入っている。岩にコケが付いた水槽と(有毒な)種の解説板の前では、氷が(溶ける)映像を背景に撮りたいそうだ。
必要な(確認)は二つだけだと、私は(最初に)見当をつけた。三枚のうち館の側で(詰める)べきなのは、撮影の時刻と、機材を置く位置である。水を(浄化する)装置の(球体)の説明や、海獣の動物の毛皮を触れる展示は、八重樫さんの領分である。
(一つ目)は時刻だった。依頼書は「(午前中)、二時間」とある。けれど珊瑚礁の(水槽)は十時半から十一時半が(給餌)で、人が入るとすぐに魚が(後部)のガラスへ寄る。一時的に戻るとはいえ、撮れる映像ではない。
(二つ目)は機材の位置だ。依頼書には三脚を二台、(正面)に平行に(並べたい)とある。けれど正面の(通路)は幅が一メートル四十で、来館者が行ったり来たりする。誰かが三脚を倒す機会を(最大)にするだけだ。
私は先月の(来館者数)を調べた。無作為に見えていた混み方に(形)がある。(平日)の午前は十時から十一時が一番少なく、十一時を過ぎると(団体)が入る。九時半から十時半なら、給餌も団体も避けられると結論づけた。
八重樫さんの(心配)は(撮影)そのものに向いていた。私が見ているのは時刻と位置である。反対のことを言っているように見えるが、(一見)(矛盾)する事に過ぎない。否定し合う必要のない二つの話だった。
*
私は水槽の正面に(立ち)、巻尺を(しっかり)握って三脚を置ける(場所)を測った。正面は一メートル四十だが、(左手)の(柱)の後ろに二メートルの窪みがある。(入口)から一番遠いので、人が通らない。そこからだと珊瑚礁の(中央)が、ガラス越しに斜めから入る。
斜めは不利ではないと、飼育の人に教わった。正面からの(照明)はガラスに(反射する)。それにもかかわらず番組の人は正面を(希望していた)。斜めなら光が逃げるから、照明を(弱くしても)撮れる。この方が(効果的)で、水温の心配も徐々に小さくなる。
日没の展示も見に行った。照明を(落とす)のは午後四時四十分で、(地平線)の絵の前の照明だけ残る。荒涼とした(背景)の絵の前で、(暗闇)に近い三十分、魚が(滑るような動き)で上層へ移っていく。正面からでないと撮れない場面だった。
それなら、(午後)の分は(閉館)後にすればいい。閉館は五時で、四時四十分から五時十分までの三十分なら来館者は(ほとんどいない)。(夜通し)の撮影は見合わせてもらうしかないが、三十分なら飼育の負担も(小さい)。(終わりのない)交渉になる話ではない。
佐分利さんが、館内の図に撮影の位置を(落としてくれた)。柱の窪み、正面の二点、(標本)の(棚)の前。動線を引いた図で、通路の幅がすべて書き込んである。(たくさんの)(矢印)は要らない。壁に掛けられる大きさにして、撮影の位置を濃く示してくれた。
条件の文は(次のとおり)(三行)にした。午前は九時半から十時半、柱の窪みから斜めに撮る、午後の日没の分は閉館後の三十分。(英語)で書いて、相手に直接会って(説明する)手配もした。
水槽の中のことは一行も書かなかった。給餌の(時刻)、照明の上限、魚に触れないこと。(永遠に)飼育の側の(決まり)だと、自分に約束しておいた。
*
木曜の午後、私はその三行と館内の図を八重樫さんに(見せた)。(大胆に)出したつもりはないが、(おそらく)彼は驚いたのだと思う。窪みの位置を指で押さえ、通路の幅を確かめ、自分の付けた条件の(下書き)をめくって、照明の項目に(線)を引いた。
「望月さん、ポスター係に取材は無理ですと言ったのは(撤回します)」と八重樫さんは言った。「あなたが出したのは撮影の(条件)ではなく、時刻と位置でした。十二年やって、通路の幅を測ったことがない。この三行で(受けましょう)。私の(照明)の項目も、(半分)に書き直します」。
彼はそれから館長を交えた打ち合わせに私を(呼んだ)。金曜の午後、館長は(紙)を指でたどって言った。「斜めから撮れば照明を弱くできるというのは、飼育からは出てこない(発想)です。(両方)を満足させる形で、私の頭まで刺激されました」。
八重樫さんは、その場で(立ち上がって)言った。「この条件は、望月さんが(組んだ)ものです。広報は(当日の)案内だけでいい、と言ったのは私の思い違いでした」。(前の日)の(一言)を、人前でもう一度言った。
館長は、海外の取材の(受け入れ)を私に任せると言った。八重樫さんを(安心させる)一言も付けてくれた。丁寧な準備は数字にも(表れる)と言われて、私は深く(礼をした)。(誠実さ)を褒められたのは初めてだ。(巻尺)を持って通路に立っただけである。
撮影の(当日)、番組の人は四人来た。柱の窪みから斜めに撮ると、照明は依頼書の半分で足りた。撮影は予定より早く進み、昼前に(終わった)。「ガラスの(反射)がないのは驚くべきことだ。(他の)館とは(違う)」と、カメラの人が(うれしそうな)顔で言った。
日没の展示は閉館後に撮った。照明が落ちて、魚が上層へ移っていく三十分。水槽の景色が(夜)の(表情)へ移行していく時間だ。カメラの人は(床)に(膝)をつき、手足を縮めるようにして、ガラスに手を伸ばさず(黙って)撮り(続けた)。開館前の(静けさ)を思わせる光景が、ふと思い浮かんだ。
八重樫さんは午後の分だけ水槽の横に立った。番組の人が珊瑚礁の種類を聞くと、彼が(正確に)(答え)、私が訳す。(似ている)二種の(違い)を説明するところで、二人とも身を乗り出した。
打ち合わせの(あと)、八重樫さんは私の(席)で通路の幅を手帳に(写した)。それから、来館者数が少ない時刻を熱心に(聞く)。撮影のない日の展示にも使える(数字)だと言った。
私は引き継ぎの紙を一枚作った。午前の撮影は九時半から、位置は柱の窪み、(暗い)展示は閉館後の三十分。三行で足りる。八重樫さんは「飼育の(手順)に貼る」と(持っていった)。
佐分利さんは館内の(図)に(撮影)の位置の(印)を足した。(通路)の幅が入っていれば、受けるときも断るときも説明しやすいと彼女は言う。
次の木曜、(新しい)(取材)の依頼書が届いた。私は希望の(時刻)から読んで、佐分利さんの図を一枚添えて(返す)。