バイト先の(カフェ)は、(駅)から(歩いて)七分の商店街にある。木曜の昼間は客が少ないので、私は一人で店番をする。そこへ、同じ時間に(必ず)来る人がいる。アリスという、アメリカから来た交換留学生だ。いつも窓際に座って、ノートパソコンを(開く)。
最初に話したのは、(電卓)を(貸した)ときだ。小銭を(数えていて)、桁が分からなくなったらしい。レジの横の電卓を(渡した)ら、(押しながら)「これ、手動のほうが落ち着く」と笑った。(巻き毛)を耳にかける癖がある人だ。服はいつも(くだけた)格好だけれど、腕時計だけは(貴重)そうに見えた。(しゃれた)人だと思ったが、本人は「祖母の宝石と同じ扱い」と言っただけだった。
(二週目)に、アリスが自分の(仕事)を(教えてくれた)。ブロガーなのだという。国にいたときから、小さな店を(紹介する)記事を書いている。(読者)はそれほど多くない。定期購読をしている人が四十人くらいで、そのうち(半分)は(家族)と友人だ。(もともとは)(配信)をやっていて、ストリーミング配信の画面に向かって一人で話していたという。
けれど、(アップロードする)たびに何かが減る気がして、文字に(戻した)。「(人工知能)に書かせたら早いけど、わたしは(自分で)見て書く」。(意図)のはっきりした言い方だった。読者は、その四十人の(ネットワーク)から少しずつ(増えている)らしい。
その日の(夕方)、店長が困った顔で奥から(出てきた)。来月、商店街の会報に店の(紹介)が載る。(文章)は各店が自分で出す。ところが店長は、原稿を一度も書いたことがない。前の文は十二年前に先代が(タイプライター)で打ったもので、日焼けして白く色あせた古い写真が一枚、(添えてある)だけだ。「(更新したい)んだけどね」と店長は言った。先代の字は読みにくく、どこが段落の(始まり)かもはっきりしない。
私も文章は苦手だ。だから、アリスの(席)に行って「(紹介の文)って、どう書くんですか」と聞いた。アリスは画面を私のほうへ(向けて)、日本語に(変換する)機能で自分の記事を(読ませてくれた)。(訳)は少し(変だった)けれど、言いたいことは分かった。経由した日本語は固いのに、元の文はおしゃれな書き方らしい。
アリスの(記事)は、(構成要素)が三つしかなかった。何の店か、誰が(作っている)か、いちばん小さな(自慢)。「物語を(語る)みたいに書かない。(うわさ話)にもしない」。(装置)の説明書のような書き方だ、と私は思った。だけど読みやすい。アリスは記事をデータベースのように(並べ)、どの店をいつ書いたか、(指示文)の形で残していた。店と店を頭の中でつなぐためだという。
翌日、店長に三つの(項目)を(見せた)。店長は腕を組んで、「それなら書ける」と言った。でも、もう一つ(問題)が(出た)。会報は日本語の(版)と、駅前の案内所に置く外国語の版がある。外国語の版の原稿は、誰も用意していなかった。例年は(中止)になるか、前の文を(複製して)載せるかの、どちらかだったらしい。
電話をかけたとき、商店街の事務の人は、私が(学生)のバイトだと知ると(声を変えた)。受話器の向こうで(書類)をめくる(音)が、(やかましく)響いた。「原稿は、店長さんに直接書いてもらってください。学生さんが(気にかける)ことじゃないので」。悪意はない言い方だった。ただ、うちの店長が原稿を書けないことは、私しか知らない。
私は、その場で三つの項目を読み上げた。何の店か、誰が作っているか、(いちばん)小さな自慢。「(豆)は月に一度、九州の同じ(農家)から。この形で三百字にします」。相手が少し(黙って)、それから「(失礼しました)。さっきの言い方は(取り消します)」と言った。「その三つで出してくれる店、実は(少ない)んです」。
締め切りは二十日の(正午)。写真は一枚まで。文字の数は三百まで。それ以上は入らないので、(超えた)分は(切る)。校了は二十五日に行われる。間に合わない場合には、(前の年)の文がそのまま載る。電話を切ってから、店長が「十日しかない」と(言った)。
私は、アリスに(頼んで)みることにした。断られるかもしれないと思って、話しかける(前)に(店)の中を一度(見回した)。木曜の昼間、(客)は三人。テーブルを拭く手を止めて、窓際へ行った。断られるかもしれず、少し(緊張した)。(危険)を冒すほどの用件ではないのに、(声)が小さくなった。
アリスは話を聞き終わると、すぐに(うなずいた)。「(半分ずつ)にしよう。あなたが日本語、わたしが英語。同じ意味の文を、それぞれ自分の言葉で書く」。(訳す)のではなく、二つ書く。そのほうが(読みやすく)なるという。
その週の木曜から、昼間の二時間が(作業)の時間になった。アリスは(窓際)、私は(レジ)の内側。店長が焼き菓子の皿を間に置いて、二人を(くつろがせよう)とした。アリスは(一文)書くたびに「この言い方、くだけすぎ」と自分で直し、私は三行書いて二行(消した)。
三日目に、私たちは豆のことで止まった。この(店)の豆は、店長が月に一度、九州の農家から直接(買っている)。私はそれを「(厳選した)豆」と書いた。アリスが首をかしげて、「これ、どの店も書いてる」と言った。(確かに)、商店街の他の店の文を見ると、同じ(言葉)が並んでいる。(独特)ではない。
「頻度を書こう」とアリスが言った。月に一度、九州の同じ農家から。それだけ。(褒める)言葉を全部(外して)、数字と場所だけを残した。(順番)も逆にして、豆の話を先に置いた。(うまくいけば)、読んだ人が九州の地名を(覚える)。読み返すと、こちらのほうがずっと強い。やるだけの(価値がある)直し方だった。私は自分の二行を(変更して)、純粋に(事実)だけの文にした。
写真は、店長の手を(撮った)。豆を量りで測っている最中の手だ。窓の光が強すぎたので、(閃光)は使わずに、アリスが白い紙で(反射させた)。スプーンを(持って)微動だにしない瞬間に、アリスが「今」と言った。(顔)が写っていないのに、店の(雰囲気)が出ている。壮観な一枚ではないけれど、(うそ)がない。アリスはその一枚を何度も見て、構図を(分解する)ように指でなぞった。
十八日に、二つの原稿ができた。(日本語)が二百九十字、(英語)が同じくらいの(量)。アリスはそれを自分のディスクに(保存し)、(事務所)へ送る形に整えた。(送信者)の(欄)には、店の名前と私の名前が並んだ。
二十日の(朝)、(事務)の(人)から確認の(連絡)が(来た)。外国語の(版)を出した店は四軒目だという。前の年は一軒だけだった。「来年から、(出し方)の手引きを(配ります)」と言われた。
会報が出たのは、(次の)月の一日だ。店長は、自分の手が(写った)ページを(切り抜いて)、レジの(横)に留めた。(見出し)の字が思っていたより(大きくて)、店長は少し照れていた。
その日の(閉店後)、(店長)が「来年もあなたに頼みたい」と言った。(事務の人)からも短い(葉書)が届いていて、三つの項目の(型)を他の店に配る許可をくれないかと書いてあった。原稿を(書いた)ことのない人間が書いた型だとは、たぶん誰も(気にかけない)。
アリスは、その会報の(写真)を自分の(記事)にも(載せた)。その回だけ、定期購読の人が六人(増えた)らしい。「あなたの店のおかげ」と言われたけれど、増えた(理由)はたぶん写真のほうだと思う。
今、木曜の(昼間)になると、アリスは(同じ)窓際の席に座る。私は(テーブル)を拭きながら、(新しい)(原稿)の話を少しする。次の会報の(締め切り)まで、(まだ)三か月ある。レジの横の切り抜きは、少し色が(変わってきた)。(環境)のせいか、日に当たる端のほうから先に(薄くなる)。